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ガンバレの日が8月11日になったワケとは?

応援する女性

ガンバレの日という記念日があります。8月11日なのですが何故この日がガンバレの日になったのでしょうか?

今回はガンバレの日が何故制定したのか?を記事にしたいと思います。

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ガンバレの日ができた由来は?

応援する男性

ガンバレの日ができた理由はオリンピックにあった

1936年のベルリン・オリンピックで女子200m平泳ぎ決勝で日本の前畑秀子が優勝した日が8月11日でした。

1936年と言えば第二次世界大戦間近の世界的に色々緊張があった時期。オリンピックはどの国も国威を示す絶好の機会ということで日本もその例に当てはまりました。

前畑秀子さんはその中でも金メダル候補ということで「金メダルを取って当たり前。取れなかったら帰ってくるな!」みたいな無茶苦茶な重圧の中金メダルを取りました。

当時はテレビがなくてラジオが主流の時代

この時代はテレビは試験中継程度でまだ普及しておらずラジオ主流時代。そして世界初でオリンピックでラジオ同時中継をするなどまだ実況放送というのが当たり前ではなかった時代です。

その平泳ぎのレース実況中に河西三省アナウンサーがデッドヒートの模様を、「前畑頑張れ!」を36回も連呼したことが「ガンバレの日」になった由来だそうです。

アナウンサーの実況技術としてはとても稚拙

テレビだったら「ガンバレ!」だけでもいいと思うんですよ。映像がありますからその状況が見えています。

しかしこの時の放送はラジオです。映像が無い状況でアナウンサーの仕事は応援することではなく正確にレースの状況を言葉で表現しなければいけないと思います。

今だったら真っ先に叩かれているようなレース実況だったと思いますが、当時はラジオで実況放送というのがほとんどなくて新鮮だったから受け入れられた実況だったのだと思います。

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オリンピックの名実況といえばやはりコレ!

 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ~!」

コレは記憶に新しいですよね?アテネオリンピックで男子体操団体でNHKの刈屋富士雄アナの名言です。

最後の競技で最終競技者の冨田の鉄棒の着地シーンでこのセリフを言った刈屋アナウンサーはこの言葉を前もって準備していたのでしょうか?センスが光るセリフだと今でも心に残る名実況です。

この名実況は有名ですが、実はその後にさらっと「オリンピックの聖地、オリンピック発祥の地このアテネで、陽はまた昇りそうです!」という言葉を残しているので刈屋アナウンサーは言葉の魔術師だな。と関心した記憶があります。

まとめ

ガンバレの日は8月11日です。

この日がガンバレの日になった理由はベルリンオリンピックで前畑秀子選手が平泳ぎで金メダルを取った時の実況で「ガンバレ!」を連呼していたことがきっかけで作られた記念日です。

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