「やらない善よりやる偽善」という言葉を聞いたことがありますか?
最近の日本では大雨や地震などで避難を迫られるような事態になることも度々あります。その時にニュースを見ながら考えるこの言葉。
「困っている人達のために何かしてあげたい!」と考える人は偽善と言われてでもすぐさま行動するべきなのでしょうか。本当の善とは何なのかという難しい問題に自分なりの答えが見つけられると良いのですが…。
Sponsored Link
やらない善よりやる偽善という考え方とは?
「やらない善よりやる偽善」という言葉が誕生した経緯はいろいろな説があるのではっきりとはわかりません。記憶に新しいのは2016年の春に熊本地震の支援活動をした元KAT-TUNの田中聖さんが発言してニュースになりました。
言葉の意味としては「行動に移さないで偽善だと批判するくらいなら偽善と言われようと行動する方がずっといい」というようなことだそう。
この言葉はやる側やられる側によっても感じ方が変わるような気がします。
実はその偽善行為が迷惑になっているというケースもある
ツイッターで広く拡散された「阪神大震災被災者からのお願い」というツイートの存在をご存知ですか?
一度見て頂くと今回のテーマがイメージしやすくなると思うので、まだ見たことがないという方はぜひ参考までに目を通してみてください。
内容は、やらない善よりやる偽善という考えによって迷惑になることもあるから支援は状況が整うまで待ってほしいということを訴えかけるものとなっています。
現場が混乱することで迷惑に感じている人もいるというのに続々と駆けつける支援者達や次々と集まる支援物資をどう思いますか?それでもやる偽善こそ正しいと言えるのだろうかという問いかけにみなさんならどう答えますか?
Sponsored Link
やってもらったら助かることもあるのでは?
被災地の方達がみなやる偽善に対して迷惑に思っているかといえばそんなはずもありません。
ボランティアの方達に的確な指示を出せないような状況でも今すぐ自分のところに助けに来てほしいという人もいるはず。
そんな人達にとっては悪路をかきわけ自分のプライベートの時間を割いて駆けつけてくれるような「やる偽善」の力がどれほどありがたいか。
避難所の規模が小さいせいで支援物資が回らない箇所もあり、そこにせっせと運んでくれる人が突如現れた時も「やる偽善だ」なんて言えるのかどうか。
たとえさばききれない支援物資でも続々と届いていると聞くだけで被災者の励みになるのではないか。希望が生まれ、頑張る活力になるならそれは偽善だとはき捨ててしまっていいのか。
わたしは被災した身ではないですし人によって感じ方はそれぞれなのでひとつの答えなんか見つからないのではと思ってしまいます。
わたしが感じたこととは
わたしはこのツイート内の「アピールしなくても」という言葉に胸を刺されました。
アピール…助けてあげたいという気持ちは助けられる側にとって単なる自己満足のアピールでしかないと思われる可能性があるということなんです。確かにそうですね。やらなきゃ気がおさまらないという感情はやることでおさまります。
ただ、やらなきゃ気がおさまらないほどやってあげたいと思う人達に対して、やらない人達が「やらない善」だなんて主張していいのでしょうか。
善意の気持ちを我慢してじっと待っている人もいるのはわかりますが何だか腑に落ちないのも事実です。
あとがき
考え尽くした結果自分なりの答えが少し見えた気がします。それは、普段から即戦力となれる力を蓄えておくのがいいのではということです。
どんな災害でどんな援助が役に立つか勉強しておくことや、どんな資格や経験があればすぐ活動する側に回れるのかなどを知り、できるだけ身につけておくこと。
こんな発言も偽善と言われればそれまでですが考えたことに意味がないとは思いません。
Sponsored Link
コメントを残す