地図の日という記念日があります。地図といえば伊能忠敬なのはご存知でしょうか?初めてちゃんとした日本地図を作った人として歴史の時間に習ったことを覚えている人も多いのではないでしょうか?
この記事は地図の日に制定された理由と、伊能忠敬と地図について記事にしました。
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地図の日は4月19日
地図の日は4月19日ですが、どういった理由でこの日になったかわかりますか?語呂合わせではありません。
今回の地図の日と関係がある人物は伊能忠敬という人物です。彼が日本地図を作るために蝦夷地に実測をしに行った日が1800年4月19日というところから地図の日になったのです。
伊能忠敬が日本地図を作ろうとしたのはなんと56歳になってから
今の56歳と当時の56歳って全然違いますよね?当時は病気などもあって今の日本人よりも遥かに寿命が短かったです。もう56歳と言ったら死んでもおかしくはない年なんですよ。
織田信長が人生50年というぐらい人生は50年ぐらいだと言われていた当時。それよりもさらに6年も経ってから「地図を作ろうか」と思った伊能忠敬のモチベーションはどこから溢れていたのでしょうか?。
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伊能忠敬はどうやって地図を作ったのか?
今だったら衛星とか飛ばせば日本の形はわかりますが、当時はそんなことありません。ではどうやって伊能忠敬は地図を作ったのでしょうか?空を飛んだ?そんなはずないですよね?
伊能忠敬が地図を作るために使った道具は自分の歩幅と一定の長さの縄のみ。後は日光の高さなどの天体観測を利用して自分のいる位置を正確に計算して作ったみたいです。
正直何言っているかわからないですよね?今私自身がその手法で地図を作れと言われても「頭がおかしいんじゃないの?」と思ってしまう行為ですが、伊能忠敬はそれで日本地図を作りました。
そして伊能忠敬が作った日本地図がコレ
正直意味わかりません。どんだけ精度が高いんですか?当時コレを見たペリーも心底驚いたみたいです。「とても稚拙な手法なはずなのに、こんなに正確に日本地図を作るなんて日本人はクレイジーだ!」って言ってそうです。
伊能忠敬は56歳から挑戦した!いつでも挑戦する気持ちはとても大事!
「もう歳だから」
なんて言い訳は通じません、いつだって挑戦する心が大事な事を伊能忠敬から教わった気になれました。今やってみたいことをまだ躊躇しているあなたも伊能忠敬の魂を感じて挑戦してみてはどうでしょうか?
地図の日から知る伊能忠敬の飽くなき挑戦のまとめ
・伊能忠敬が蝦夷地へ測定をしに言った日が記念日
・伊能忠敬が日本地図を作ろうと始めたのはなんと56歳
・稚拙な手法で作られたはずの日本地図はとても精巧な地図だった
・いつまでも挑戦する心は大事です
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