ペルーと日本って意外と近い存在の国だったりします。私が小学生の時に同じクラスにペルー人の方がいましたが、今こうして調べてみると納得する理由でペルーから引っ越してきたことがわかりました。さて、ペルー日本友好な日がなぜ4月3日なのかというテーマで今回は記事にしていきたいと思います。
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なぜこの記念日が4月3日なのか
国交が回復した日が4月3日なんだろうと思ったら実は違います。国交を回復したのは1873年の8月21日らしいです。ではなぜ4月3日かというと1899年2月27日に日本から790人もの移民がペルーに向けて出航しました。当時は船でペルーに向かうということは安全でもなんでもなく風土病や疫病などで大変な被害が出たそうです。それにも負けずにその年4月3日にペルーに到着したということからペルー日本友好の日として1989年に制定されたそうです。その時の船がどうやら最初の画像みたいで、この船で790人が1ヶ月ちょいもペルーという新しい土地へ希望を乗せて出航したのだと思うと少し胸が熱くなりますね。
日系ペルー人で有名な人といえばあの人
それ以後日系ペルー人っていうのは増え続けて今では数万人の方がペルーで住んでいるそうです。私達で馴染みのある人といえばフジモリ大統領ではないでしょうか?近年いろいろ問題を抱えているみたいなフジモリ大統領ですが、在ペルー日本大使公邸占拠事件でフジモリ大統領がいろいろ演説していたのを子供の頃に覚えています。当時は「なんで日本の名前のような人がペルーの大統領やっているんだろう?」と不思議に思っていましたが今思うとそれだけ日系ペルー人って増えていたんだなと関心してしまいますね。
日本とペルーは友好の証として色々取り組みをしているみたいです
ペルーにはさくらちゃんという日本の移民を象徴する石像があり、日本にはみなとみらいにリマちゃんというペルーからきた人を象徴する石像があり、お互い向い合って握手をするような構図になっているようです。文化が違う日本とペルーですが、お互いが向かい合おうという姿勢さえあればいつまでも友好を築けるのではないでしょうか?
ただ違う民族というのは必ず壁というのがあるわけで
小学生の頃に同じクラスにペルー人がいた話をしました。正直、心痛める思い出になっています。ペルー人の彼女は日本語がほとんど喋れませんでした。おそらく1980年頃からペルーの情勢が不安定になり、日本が高度経済成長期ということもあり多くのペルー人が日本にやってきたそうです。彼女の親もその一人だったのだと思います。
日本語がしゃべれない女の子を最初私たちは物珍しく色々コミュニケーションをとっていましたがやっぱり伝わらないんですよね。段々と相手にしなくなりクラスで馴染めていなかった姿をたまに思い出してしまいます。言葉が通じない、自分たちとは違うということだけで子供って結構残酷になってしまうんですよね。
ペルー日本友好の日のまとめ
・日本とペルーが国交回復した日というわけではない
・日本から多くの移民がペルーに到着した日がペルー日本友好の日
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