「紅葉をみると一句読んでしまいたくなる」
とまでは思いませんが、日本の風物詩ですから私でも何か思うところを感じます。
私のような語彙力があまり無い人が紅葉を見ても素敵な言葉は出てきませんが、
昔の詩人や歌人は紅葉を見て素敵な言葉を残しています。
今回は紅葉に関する有名な俳句をまとめてみました。
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俳句
松尾芭蕉の紅葉の俳句
- 色付や豆腐に落ちて薄紅葉
- 蔦の葉はむかしめきたる紅葉哉
上の句は、松尾芭蕉35歳の時の作品です。
紅葉狩りの席で出された紅葉豆腐を見て彼はこの句を詠んだそうです。
紅葉豆腐とは唐辛子で色を付けた料理なのですがそれを見た芭蕉が、
「これは豆腐の上に落ちた紅葉が色を付けているのではないか?」と冗談を言いました。
それがこの俳句だったりします。
下の句は蔦の紅葉がひときわ紅いと芭蕉が感じて読んだ句です
蔦紅葉を芭蕉は「昔めきたる」(昔のような)と表現したけれど、
あまりその根拠が弱くこの俳句はあまり評価されていないらしい。
与謝蕪村の紅葉の俳句
- 山暮れて紅葉の朱を奪うけり
- このもよりかのも色こき紅葉哉
- 二荒や紅葉が中の朱の橋
- よらで過る藤沢寺のもみぢ哉
- 西行の夜具も出て有紅葉哉
『山暮れて紅葉の朱を奪うけり』
秋の山の情景が思い浮かぶ俳句です。
真っ赤な紅葉が日が落ちるとともに色を失っていく情景が目に浮かびます。
『このもよりかのも色こき紅葉哉』
与謝蕪村が紅葉がとても好きだった情景が目に浮かびます。
「このも」「かのも」という表現がこの句のポイントですね。
「この紅葉綺麗だ、あ、あっちの紅葉の方が綺麗だ」という感じで
紅葉を見た与謝蕪村のテンションが上がっていく様子が句にあらわれています。
小林一茶の紅葉の俳句
- 真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉
- 日の暮の背中淋しき紅葉哉
- 夕紅葉谷残虹の消かかる
- 小男鹿の水鼻ぬぐふ紅葉哉
『真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉』
あまり深い情景はなく、自分のした行為をそのまま読んだ句です。
「真間寺で散った紅葉を拾ってみたよ」みたいな意味だそうです。
『日の暮の背中淋しき紅葉哉』
日が暮れてしまい、赤く彩っていた紅葉の色が夜の闇に消えていく様子を表した句
どんなに綺麗なものもいつかは終りがくる切なさが染み渡ってくる句ですね。
小林一茶の俳句の特徴って俳句がとにかく庶民的に感じてしまう所でしょうか。
お高く止まる俳句も多い中、一茶の俳句は本当にどこか俗物的なものを感じます。
正岡子規の紅葉の俳句
- 古寺に灯のともりたる紅葉哉
- 千山の紅葉一すぢの流れ哉
- 山に倚つて家まばらなりむら紅葉
「古寺に灯のともりたる紅葉哉」
今でこそ紅葉はライトアップして見る所も増えていますが、
当時はライトアップの技術もなく、紅葉は昼間に見るものだったと思います。
そんな中、お寺の灯篭に灯が灯って浮かび上がった紅葉の美しさに感動し、
正岡子規がこの句を詠んだことが想像できますね。
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その他の有名な俳句は?
- うらを見せおもてを見せて散るもみぢ【良寛】
- 一枚の紅葉かつ散る静かさよ【高浜虚子】
『うらを見せおもてを見せて散るもみぢ』
良寛の辞世の句と言われている俳句です。
良いところも悪い所も隠さずに見せてきたから私はもう思い残すことはない
あとは自然に還って散っていくだけですという意味が込められています。
『一枚の紅葉かつ散る静かさよ』
紅葉をする葉もあれば散る葉もある。
同じ木についている葉でも別々の行き方をする様子を表した句ですね。
まとめ
もみじは秋を連想する言葉の代表的な一つだと思います。昔の人も紅葉を見て季節の移り変わりを楽しんだのではないでしょうか?
▶ 紅葉と楓の違いとは?日本にある紅葉の種類は大体3種類?
▶ 紅葉狩りの「狩り」とはどういう意味なの?由来は?
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